23. 遺伝と進化
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進化の歴史的概念
現在の進化概念の基礎を築いた5人
ラマルク説がが長い間支持されたのは、動物や植物の適応を"説明"するのに都合がよかったから ラマルク説を否定する理由
過去80年間に行われた数多くの実験の結果は、事実上例外なく獲得形質の遺伝を否定するものだった 表現型が目的に合ったように生殖細胞を変えていく生理的な機構など考えられないこと これらの可能性をすべて否定することは可能だが、しかし、確実な証拠はない
女王バチが働きバチの獲得形質を伝えるということは考えられない ワイズマンの大きな業績は、生殖細胞と体細胞とをはっきり区別して、体細胞の影響は普通は生殖細胞に及ぼず、したがって次の世代に伝えられないということを指摘した点 ネズミの尾を何代も続けて切っても、子どもは相変わらず尾をもって生まれてきた 現代では雑に見えるが、当時流行していたラマルク説の考えを生物学者に放棄させるうえで大きな影響を与えた
進化の原動力として突然変異の考えを提唱した最初の人 その後、ド・フリースによって見出された、いわゆる"突然変異"は、実際は複雑な転座ヘテロ接合体からの分離体であることがわかったが、突然変異は変異の源であり、そこに自然淘汰が働くということを最初に指摘したのはド・フリースの功績 自然選択の基本概念は、ダーウィン以前にも何人かの人の書いたものの中に見られる 3つの観察事実
1) すべての種で、生まれる子どもの数の方が、その親の数よりも多い
2) にもかかわらず、ほとんどの集団の大きさは比較的安定している
3) 自然界には非常に多くの変異が存在していて、そのうちのある部分は遺伝する 最初の二つの観察から、生きるための競争があるということがわかる
集団中には変異が存在するため、ある個体は他のものに比べて生き残りやすい
生き残りやすいものだけが、その遺伝する程度に応じて後代に増えていく
この議論は、生存力だけでなく、妊性も含ませるように容易に拡張できる ダーウィンはわれわれが知っているような遺伝の機構についての知識はなかった
彼は独自の考えをもっていて、晩年には事実を説明するため、少なくとも部分的にはラマルクの考えを認めていた
ダーウィンとメンデルは同時代の人だったが、ダーウィンはメンデルの仕事を全く知らなかった 進化の概念に対するメンデルの偉大な貢献は、それ以前有力だった遺伝の融合説を粒子説で置き換えたこと もし、融合が遺伝減少の基礎であれば、どのような形質に関して違った2個体の交配でもその結果は両者の平均値で置き換えたものに等しくなる
したがって、変異は急速に失われることになる
融合遺伝が行われれば、任意交配のもとでも変異はメンデル集団で自家受精を行ったときと同じ割合で減少することを示すことができる しかし任意交配のもとでは、変異の世代あたりおよそ1/2Nの割合だけ減少するので、最も小さな集団以外では、わずかな突然変異の出現で変異を維持するのに十分
ダーウィンの晩年の誤りの多くは、自然界に存在する豊富な変異をどのように説明するかという、彼の試みから生じたもの
もし、彼がメンデルの仕事を知っていたとしたら、ダーウィンがほとんど克服できないとみなしていた困難は問題ではないとおそらく気づいたであろう
自然選択の基礎的な概念は、今では事実上すべての進化の研究者によって認められている
根本原理
1) 遺伝子突然変異と染色体構造変化とが素材となる
これらの変化は、適応的な効果に関しては偶然的なもの
もっとも、それらは突然変異の仕組みに内在する制約を受ける
個々の突然変異は有利であるよりは有害である可能性の方がずっと大きい
2) メンデル性の分離と組換えにより、遺伝子は多くの遺伝子といろいろな仕方で組み合わされる 3) 平均して大多数の組み合わせにおいて適応度(生存力と妊性)を増加させるような遺伝子は、その数を増すが、これに対し適応度を低下させるような遺伝子は数が減少する 4) 進化は徐々に小刻みに進む過程であると一般には信じられている
進化において重要な遺伝子は、多くの場合効果の小さなものだと考えられている
これに対し、少数意見だが特に古生物学者の中には進化が時には急激に飛躍的に起こると主張する者もいるが、その機構については述べられていない
ただし古生物学的記録で一瞬のように見えることでも、実際には、非常に多くの世代がかかったあkもしれない
したがって、進化速度が一定でなくても、ネオダーウィニズムの考えとは矛盾しない
時間的尺度
最古の生物ができた後起こった著しい適応は、それに要した時間の長さを考えれば説明不可能なものとは思われない
地球の始まり 50億年
自然選択は必ずしも種の生存能力を高めるとは限らない
多くの形質は両性の間で生存に無関係と思われる仕方で著しく異なっている
ダーウィンは他の形質について行ったと同じように、これらの形質についても雌雄選択(性選択)、すなわち配偶者を得るための競争の結果であると指摘した最初の学者 交配の上での成功を高めるような遺伝子は集団中で増加するだろう
このような選択は個体の種の生存に直接役立たない形質の発達を助けるかも知れない
他の種と比較して集団の適応度は減少するかも知れない
たとえば、北米産のライチョウの交配における誇示行動があると、それは捕食動物におそわれやすくなる 自然選択の上で成功かどうかを判断する唯一の基準は、生物の子孫を残す上での能力
性比に対する選択
自然界では種によって性比が1:1から異なったほうが有利だと思われるときでも、なぜ1:1となるのだろうか
セイウチでは一匹の雄が多数の雌を従えているにもかかわらず、雄が50%生まれてくる
X染色体およびY染色体による性決定の仕組みが存在するが、これもどちらか一方の性がたくさん生まれるように容易に変更できる 事実、常染色体突然変異の中には子孫の性比に影響を与えるものがたくさんある
そのうえ、XおよびY染色体によって性が決定されない酒においても、出生時の性比は1:1に近い
ダーウィンはこの問題を扱うのを諦め、解決を後の世代に委ねた
集団は接合体の時期に性比が1:1になるところで平衡を保つ
mtane0412.icon省略
この"孫"に関する議論はどういうわけかダーウィンは思いつかなかった
これは自然選択が必ずしも種にとって最善のことをするとは限らないという事実を示す最良の例のひとつ
この法則を検定するのに用いられる例外がある
寄生昆虫の一種で、雌が他の宿主となる昆虫に卵を産みつけるものがある 卵が孵化し、その寄生昆虫が発育し、宿主内で交配する
したがって、すべての交配は同胞の間で行われる
続いて各々の雌は宿主から出て、新しい宿主に卵を産みつける
この場合、すでに述べた孫に関する議論が成り立つ余地がない
なぜなら、一腹の子の両親は必然的に同数の孫をもつから
この種では、雌の数は雄の数の3~4倍
おそらく、これが選択によって達成される最適の性比
自然選択は生存と繁殖に関する激烈な競争をもたらすものと思われるようだが、実際には多くの種で協力的および利他的な行動がよくみられる
協力的行動は容易に理解できる
もしAがBを助け、BがAを助ければ両方とも利益を得る
そのような行動を起こしやすくするような遺伝子は集団中で増加するだろう
しかし、自己犠牲の行動はすぐには理解できない
働きバチは、しばしば巣を守るために敵を刺し、その結果、普通は死んでしまう
働きバチは不妊なので、自分と半分の遺伝子を共有する女王バチを守ることによってだけ、自分の遺伝子を生きながらえさせることが期待できる
働きバチに女王バチを守らせるような遺伝子は集団中で増加するだろう
類似の行動が働きバチに相当する不妊階級をもたないような種でも見られる
母親にその子どもを保護させるような遺伝子は集団中で増える傾向があるだろう
母親は合理的に考えてもその子どもの生存を確実にできれば、50%までの危険を犯すことが期待できる
子どもは生殖可能な生涯を今後に控えているのに対し、母親は繁殖に関しては終わりに近いかもしれないので、母親はそれ以上の自己犠牲をしてもよいかもしれない
これに対し、もし子どもが他の原因で死ぬ可能性が大きければ、犠牲をそれほど払う価値がない
したがって哺乳類のほうが昆虫より子どもを保護する行動がずっと発達していると期待してよいだろう
利他行動を起こさせる遺伝子は、もし$ c/b<rであれば増加していくだろう
$ c: 利他行動の費用(行為者の適応度の減少)
$ b: 助けられる方の個体が受ける利益(非行為者の適応度の増加)
$ r: 行為者と非行為者の遺伝子を共有する割合
この式で$ rは単に$ 2F_{JK}
過去には、人類集団は多数の小さな比較的隔離された群に分割されていた
小さな群の内部の個体同士は多少とも近縁関係にあり、他の群とは近縁でない傾向にあっただろう
血縁選択の原理によると、自然選択が群内の協力的行動を促進させるように働くだろう
このことは、特の群との間で生存の為の競争があるときにはそうなるだろう
人の社会的行動、特に群内の個体に対する友情、協力性および自己犠牲的行動、はおそらく過去の進化における小さな群内での血縁選択によるものだろう
われわれの現在の行動を形作った他のすべての心理的および社会的因子な因子に比べて、これがどれほど重要なものかは全くわからない
血縁選択は新しい概念ではないが、それに対する興味は近年高まってきた
人の行動を、自然の選択の結果であるとして研究する分野である社会生物学にとって主要な説明方法となっている 種の起原
一つの集団が、地理的な障害例えば山脈や海などによって、二つまたそれ以上の群に分かれることがある
二つの群が違った環境に置かれれば、そのようなことは他に理由がなくても競争する種が違うという可能性があるために、いくらか違う方向に進化していくだろう
たとえ環境が同じであっても、機会的な偶然性によって速度は小さいであろうが、同じようなことが起こる
十分に時間が経過すると、隔離された集団は違う種になるだろう
もはや互いの間では生殖できなくなり、たとえ同じ地域に棲息しても遺伝子の交流は起こらなくなるであろう
種分化の過程は長期間にわたる隔離集団のゆるやかな分岐の過程と考えられる もし新しい集団が少数の創始者によってつくられると、たまたまもっていた転座のような変異がその中に固定される可能性がある このようにして、ヘテロ接合の状態では有害な遺伝子や染色体構造について違ったものになるかもしれない
このようなことは、大きな集団での普通の自然選択ではほとんど起こり得ないこと
このような種形成のおそい過程に対する主な、そしておそらく唯一の例外は同質倍数化または異質倍数化による新種の形成 染色体の増加によって、それ自体の間では稔性があるが、二倍体の親との間では不稔な植物ができ、それは直ちに隔離されることになる
地理的な隔離が種の分化に好都合であるということは、群島での急速な種の分化が起こることによって裏付けられる
地理的な隔離が種分化の大部分を起こさせ得るし、実際にもそうであるということは、広く一般に認められているが、すべての種分化がこのように起こるものかどうかは明らかではない
現在、アミノ酸配列がいろいろな種で多くのタンパク質について知られているので、それらが分子レベルでどれほど分化しているかを調べることができる table: 表23.1 いくつかの脊椎動物の間におけるヘモグロビンの違い
右上は異なるアミノ酸の数
左下は統計的な補正を行ったコドンあたりの平均の変化の数$ K これらの数値は変化率に換算すると、いっそう意味のあるものになる
検出不能な中間段階に対して補正しなくてはいけない
一方の種がアミノ酸Aをもち、他方の種がアミノ酸Cをもつとする
祖先Aで分岐以来一方の系統でそれがCにかわったのかもしれない
祖先がBで、一方ではA、他方ではCに変わったということも可能
普通にはこれを知る方法はない
ただし、時にはコード表からわかることもある
しかし、多くの場合、純粋に統計的な補正を行う
次にこれらの値をコドンあたり1年あたりの変化の数に換算しよう
このためには$ Kを$ 2Tで割る
2で割る理由は分岐以来、系統が2つに分かれ、突然変異はそのどちらにも蓄積できるから
表から、ウマとヒトとの間の変化の数はコドンあたり$ 0.14
ウマとヒトが共通の祖先から約9千万年前に分岐したので、独立な進化が1億8千万年にわたって行われたことになる
したがって、進化における変化率は100万年あたり、アミノ酸あたり$ 0.14/180=0.0008、10億年あたり$ 0.8 ヒトとコイの共通祖先以来のアミノ酸の変化を補正した数は、約$ 0.66
この場合、共通の祖先からの時間は、およそおよそ4億年
したがって、100万年あたりの率は$ 0.66/800となり、これは10億年あたり$ 0.8
ヘモグロビンの進化速度はほぼ一定であるように見える
これら二つのヘモグロビンは、約5億年前に遺伝子重複または倍数化によって分かれた二つの独立な遺伝子によってつくられるもの アミノ酸当たり10億年あたりの補正した変化数
ヒトβヘモグロビン 対 ヒトαヘモグロビン 0.78
ヒトβヘモグロビン 対 コイαヘモグロビン 0.81
ヒトのβおよびαヘモグロビンという二つのタンパク質は、5億年の間同一の生物どころか、同一の細胞内におかれたものだが、両者の違いはほぼ4億年の間独立に進化してきたヒトと魚のβおよびαヘモグロビンの違いに比べて有意に小さくはない
この間魚はほんの少ししか変化しなかったが、これに対し、われわれヒトは、魚のような祖先から現在の形にまで変化してきた
結論として、形態や機能の進化速度と、ヘモグロビンにおけるアミノ酸の変化速度との間には、ほとんど関係がないといえる
各々のタンパク質は独自の変化速度をもつように見える ヘモグロビンαは10億年あたりおよそ$ 0.8
ヘモグロビンベータの変化速度は少し高く、およそ$ 1.1であるチトクロムCはずっと速度が遅い 事実、3次元構造は5億年の間変わっていない
下に上げる4種のタンパク質の中には極端な値をとるものも含まれている(数値は10億年あたりアミノ酸座位あたりの置換数)
正確にはヒストンIVを指し、0.006という値も得られている 0.3の報告もある
9の報告もある
二つの事実が見出される
一つは進化速度がタンパク質によって非常に違う点
特定のタンパク質に対しては進化速度は比較的一定なこと
各々のタンパク質はそれ独自の進化速度をもつようでそれは時間的にも異なった種の間でもほぼ一定であるように見える
分子間の進化速度の大きな違いを次のように説明できる
ヒストンはDNA分子に密着しており、このため各々のアミノ酸は重要なのでそれを置き換えると機能を損なうことになると思われる
これに対し、フィブリノペプチドは血液凝固に際し、捨てられるタンパク質
したがって、どのアミノ酸を別のもので置き換えても機能的に大差ないと思われる
ヘモグロビンやチトクロムは両者の中間にくるような分子
アミノ酸座位にあるものは制約が非常に強いのでほとんど置き換えられないが、他の材では急速に置き換えが可能であると思われる
このことは分子の3次元構造に照らして理解できる
ヘモグロビンではヘム(heme)に隣接したアミノ酸はほとんど変わっていないのに対し、分子の外側にあるアミノ酸は相当変わっている 機能的に重要さが低いアミノ酸ほど進化速度が早いようだ
重要さが少ない領域ほど、進化における変化の速度が大きいことを支持する証拠が他にもある
現在では、塩基配列を直接大規模に決定することが可能になったので、比較できるのはタンパク質の遺伝暗号として働く部分だけではなくなった
遺伝子の介在配列はその遺伝子のタンパク質に翻訳される領域よりもはやく変化する 遺伝子の内部では最も早く進化する塩基座位はコドンの3番目の場所や塩基の変化が起こってもアミノ酸に変化を与えないような他の場所
以上のことから次のような一般法則が得られるように思われる
機能的な制約が最も少ないDNAの部分は最も早く進化する 遺伝的浮動による遺伝子置換
もし、選択を受けることが最も弱いような塩基が最もはやく進化するとしたら、これら突然変異体はほとんど中立なので、その行動は選択よりも遺伝的浮動によってずっと強く決まってくるという可能性があるのだろうか? このような突然変異体は、殆どの場合、それは偶然的な過程により数代のうちに集団から失われてしまう
しかし、まれには突然変異体が偶然に高い頻度に達し、前からあった対立遺伝子を置き換えることがある どのくらいの頻度でこれが起こるかを次のように計算できる
もし、問題にしている遺伝子座あたりの中立突然変異率を$ \muとすれば、大きさ$ Nの二倍体集団の中には毎代$ 2N\mu個の新しい突然変異体が生ずる
長い期間の間には集団内の全遺伝子は結局は1個の遺伝子から由来することになる
新しい1個の突然変異体が運良く祖先対立遺伝子となる確率は$ 1/2Nであり、その理由は全体で$ 2N個ある遺伝子の中で運がよいのは1個だけだから
したがって、世代あたり遺伝子座あたりの運のよい突然変異体の数は$ 2N\mu(1/2N)で、これは単に$ \muに等しい
この驚くほど簡単な式によって、次のようにわれわれの質問に答えることができる
運良く集団中に広がることができる新しい突然変異体が生ずる率は(圧倒的大多数の突然変異体は失われるが、それは無視する)単に中立突然変異が生ずる率に等しく、集団の個体数には無関係
それゆえ、もし突然変異率が$ 1/1000000であれば、1000000世代あたり運のよい突然変異体が1個生ずると期待されるはず
別の言い方をすれば、長時間にわたって進化の過程をみていくと(新しい突然変異体が偶然的に1/2Nの頻度から1に達するまでの時間に比べ長いという意味だが)、遺伝子置換率は単に突然変異率に等しい この主張は、形態的な進化速度が非常に違う場合でも、分子進化の速度がほぼ一定であることを説明する助けになる 我々に言えることは、多くの塩基置換はたとえあっても選択の上では非常に小さな違いしかなく、分子進化を支配する法則は、形態や機能の進化を支配する法則とは全く異なるということ
遺伝子重複による進化
一つの遺伝子が重複すると、二つになったうちの一つが新しい機能をもつように進化する自由が与えられる ヤツメウナギの祖先が高等脊椎動物の祖先から枝分かれして以来、脊椎動物の系統ではヘモグロビンを生産する遺伝子座は重複してアルファ鎖とベータ鎖を生産する二つの座になった
これら二つの遺伝子は今では独立は染色体上にある
現在、ヒトではベータ遺伝子座に強く連鎖した別の二つの遺伝子座がある デルタとガンマのヘモグロビン
明らかにこれらは遺伝子重複によって生じたに違いない 両者はアミノ酸組成においては大変良く似ているので比較的細菌分かれたに違いない
アミノ酸の違い
ベータ鎖とデルタ鎖は10
ベータ鎖とガンマ鎖は39
デルタ鎖とガンマ鎖は41
アルファ鎖とベータ鎖は86
アルファ鎖とガンマ鎖は87
アルファ鎖とデルタ鎖は87
高度な脊椎動物はすべて4億ないし5億年前に一つの共通祖先から由来した
したがって、アルファ鎖とベータ鎖が分かれたのはそれよりも前でなくてはならない
しかし、これらとヤツメウナギの祖先とが分かれたのはそれよりちょっと前であるから、4億ないし5億年よりずっと以前ではありえない
いっそう昔に遡ると、グロビンはただ1個だけで、これが後に遺伝子の重複によって、酸素の貯蔵の役をするミオグロビンと酸素を運ぶ役をするヘモグロビンとの二つの遺伝子に分かれた https://gyazo.com/d3f5426e2316f826ed0ec36b8ead1d1c
したがって進化には転座や逆位や倍数化による大きな染色体構造の変化、1個または少数個の遺伝子の重複による変化、さらに遺伝子の内部またはDNAの他の場所における1個ないし少数個のヌクレオチドの変化などが含まれている DNA量を増やす進化
高等生物には必要な遺伝子機能やその調節に必要と思われるよりもずっと多量にDNAが存在する
すべての高等動植物は多量の余分なDNAをもつように思われる
遺伝子重複は新しい遺伝子をつくり得るがまた偽遺伝子になってしまうこともある 倍数化によっても新しい遺伝子ができることもあるが、大部分が退化してしまう
トランスポゾンはゲノム内のいろいろな場所に移り得るが、移った先々で自身のコピーを残す
もしそれが機能のある遺伝子の近傍に入らなければ益にもならないが害にもならないだろう
おそらく、余分のDNAはすべてこのような現象の産物にすぎないと思われる
DNA量が多くなりすぎて細胞の機能を損なわない限りは、上に述べた各種の仕組みによって増加する傾向があるので、それによってDNAが過剰に存在することを説明できるだろう
このような見方からすると、過剰なDNAは何の役にも立たないが、生物はそれを取り除く方法がなく、大きな害をもたらさない限り生物の種はそれをもったまま生存していく
これに反し、過剰なDNAは未知の何らかの機能をもっているのかもしれない